2016-07-14更新
左側通行・右側通行と、右ハンドル・左ハンドルの違いについて
日本では交通のルールとして左側通行が徹底されており、車は右ハンドルが一般的です。しかし、アメリカなどのように世界では右側通行・左ハンドルの国の方が多いのはご存知でしょうか?何故国によって違うのか、その理由に迫りたいと思います。
▼左側通行・右側通行と右ハンドル・左ハンドルについて
各国の道路
左側通行・右側通行の違いの理由
右ハンドル・左ハンドルの違いの理由
各国の道路
上記の地図は青の国が左側通行で、赤の国が右側通行です。
日本は左側通行ですが、世界の分布を見ると、76の国(地域)が左側通行で、163の国(地域)が右側通行になっており、人口の比率では左側通行が35%・右側通行が65%、道路の距離の割合では左側通行が10%・右側通行が90%になっています。
具体的な国は以下の表の通りです。
地域 | 左側通行の国 | 右側通行の国 |
---|---|---|
アジア | ・日本 ・香港 ・マカオ |
・モンゴル ・中国 ・北朝鮮 ・台湾 ・韓国 |
東南アジア | ・インドネシア ・シンガポール ・タイ ・ブルネイ ・マレーシア ・東ティモール |
・カンボジア ・フィリピン ・ベトナム ・ミャンマー ・ラオス |
ヨーロッパ | ・アイルランド ・イギリス ・マルタ |
・アンドラ ・イタリア ・オランダ ・オーストリア ・サンマリノ ・ジブラルタル ・スイス ・スペイン ・ドイツ ・バチカン ・フランス ・ベルギー ・ポルトガル ・ポーランド ・モナコ ・リヒテンシュタイン ・ルクセンブルク |
東ヨーロッパ | 該当国なし | ・アルバニア ・アルメニア ・ウクライナ ・ギリシャ ・クロアチア ・スロバキア ・スロベニア ・チェコ ・トルコ ・ハンガリー ・ブルガリア ・ベラルーシ ・ボスニア ヘルツェゴビナ ・マケドニア ・モルドバ ・ルーマニア |
北欧 | 該当国なし | ・アイスランド ・エストニア ・グリーンランド ・スウェーデン ・デンマーク ・ノルウェー ・フィンランド ・ラトビア ・リトアニア |
オセアニア | ・オーストラリア ・キリバス ・クック諸島 ・ソロモン諸島 ・ツバル ・ナウル ・ニウエ ・ニュージーランド ・パプアニューギニア ・フィジー ・米領サモア |
・ウェーク島 ・グアム ・サモア ・トンガ ・ニューカレドニア ・バヌアツ ・パラオ ・フランス領ポリネシア ・マーシャル諸島 ・ミクロネシア連邦 ・北マリアナ諸島 |
北米 | 該当国なし | ・アメリカ ・カナダ ・サンピエール島 ・ミクロン島 |
南米 | ・ガイアナ ・スリナム |
・アルゼンチン ・アルバ ・ウルグアイ ・エクアドル ・コロンビア ・チリ ・パラグアイ ・フランス領ギアナ ・ブラジル ・ベネズエラ ・ペルー ・ボリビア |
アフリカ | ・ウガンダ ・ケニア ・ザンビア ・ジンバブエ ・スワジランド ・セイシェル ・タンザニア ・ナミビア ・ボツワナ ・マラウイ ・モザンビーク ・モーリシャス ・レソト ・南アフリカ |
該当国なし |
中東 | ・キプロス | ・アゼルバイジャン ・アフガニスタン ・アラブ首長国連邦 ・イエメン ・イスラエル ・イラク ・イラン ・オマーン ・カタール ・クウェート ・サウジアラビア ・シリア ・ジョージア ・バーレーン ・ヨルダン ・レバノン |
中央アジア | 該当国なし | ・アゼルバイジャン ・アフガニスタン ・アラブ首長国連邦 ・イエメン ・イスラエル ・イラク ・イラン ・オマーン ・カタール ・クウェート ・サウジアラビア ・シリア ・ジョージア ・バーレーン ・ヨルダン ・レバノン |
南アジア | ・インド ・スリランカ ・ネパール ・バングラデシュ ・パキスタン ・ブータン ・モルディブ |
該当国なし |
左側通行・右側通行の違いの理由
日本は左側通行ですが、その他の左側通行の国を確認すると、ほとんどがイギリスの植民地だった国で、イギリスの基準で道路や交通ルールが整備されたのだとする説があります。
日本はイギリスの植民地にはされませんでしたが、日英同盟によってイギリスとの関係値が深いため、イギリスの影響を受けた可能性は考えられます。
となるとイギリスが左側通行になった理由について気になるところですが、車が製造されるよりも前からイギリスは左側通行でしたが、そうなった理由は明確にはわかっていません。
「剣(日本であれば刀)を差していたのが左側の腰で、すれ違う際に鞘が当たって決闘にならないように(あるいは襲われた際にすぐに斬りかかることができるように)左側通行になった。」とする説がありますが、鞘が接触しただけで即座に殺し合いに発展する程に血気盛んだったとは思えませんし、対面する相手が右側にいる方が攻撃しやすいのは確かですがそれは相手にとっても同じことなので無意味であり、合理性にかける説だと思います。
右側通行になっている国については、「ナポレオンの影響(ナポレオンが征服した国が右側通行にされた)」とする説がありますが、こちらは実際にナポレオンがフランス革命時に左側通行から右側通行にしており、イギリスや日本などの左側通行の国はナポレオンに支配されていないため、説得力があります。
ただし、ナポレオンが左側通行から右側通行に変更した理由については曖昧で、「右利き基準で剣は左に差していてすれ違う時にぶつからないよう左側通行にしていたが、ナポレオンは左利きで剣を右に差していたため右側通行に変えさせた」とする説を見ますが、肖像画を見ればわかる通りナポレオンは左腰に剣を差しており、右利きと考えられます。
「当時の軍隊が右側から進軍するようにしていたため、軍事訓練の一環として右側通行を定着させた」という説もありますが、そちらの方がまた説得力があると思われます。
右ハンドル・左ハンドルの違いの理由
ハンドルについては、現在は基本的に左側通行であれば右ハンドル、右側通行であれば左ハンドルです。
これは、助手席の人が歩道側に安全に出られるようにするためというのがひとつの理由で、自動車メーカーのフォードの提案(T型フォードという車種が右側通行・左ハンドルの始まりです)でしたが、世界的に広まりました。
ドライバーにとっては運転席側の方が距離感が正確にわかるため、対面交通(すれ違い)の際により安全になるという効果もあります。
車道側が助手席である場合、自分の意思で車を動かすことができない助手席の人にとってはすれ違う対向車は非常に恐怖を感じることになるでしょう。
フォードがハンドルを車道側に(助手席を歩道側に)する以前は、左側通行の国でも右側通行の国でも車は右ハンドルでした。
馬車では、御者が右手(利き手)で鞭を扱う時に、左側に座ると鞭が後席(荷物)に当たる恐れがあったため、右側に座っていた方が都合が良かったことの名残です。
鞭はなくなり、当時とは交通量や車のスピードなどの事情が違うため、より安全な方法を提案したということでフォードの功績は大きいといえるでしょう。
また、T型フォードは交通の安全性の向上や、実用性のある大衆車という部分だけでなく、ベルトコンベアの流れ作業などの近代的な大量生産の手法で製造された世界初の量産車ということもあり、工業や経済などの幅広い分野に非常に大きな影響を及ぼしました。
まとめ
左側通行・右側通行に至った経緯は、元をたどることは難しいようでした。
ただし、ハンドル位置については車道側がデファクトスタンダードになっています。
交通手段において最も危険性が高い自動車ですので、より安全にするためにハンドル位置を設定するのは非常に良いことであると思います。